入門レベルからの脱却と捨象
いろんな分野の入門書を読むのは面白いし、最近読んだ本だと『現代思想入門』は非常に面白かった。
世の中の抽象概念の1つの結晶として展開されている「哲学」についても、「これまで哲学に興味が無かった人にもわかりやすく」云々という本がたくさん出ている。
哲学の入り口が広がり、裾野が広がり、概念展開が進むことについては私は肯定的である。
一方、一定以上の抽象度での思考ができない人にまで、これまで人類が蓄積してきたものの多くを理解させようとする試みが合理的なのか日については甚だ疑問だ。
一定以上の抽象化思考、概念思考ができない人は、諦めるというのも、必要なことだと個人的にはかんがえている。
なぜなら、
「ハードシングス」について
ハードシングスを美談っぽく語る風潮が強く、特に承認欲求高めの創業者・代表がいる会社だと「そこからここまで来たぜ!」という発信がされるケースが圧倒的に多い。
ハードシングスは避けられないものかもしれないし、今回のコロナみたいに外部要因でいつくるか分からなかったものが来た、ということもあるかもしれない。
でも、組織崩壊系のハードシングス含めて、概ね、「経営が下手」が故にハードシングスに陥っていることもあることは見逃してはいけないし、全部一括りにハードシングスとかって言わないほうがいいしもしくくっていたら大雑把すぎる表現である。
組織崩壊してから「ここまで来たぜ!」って主張・発信しているデザイン系の上場企業が日本にあるけど、その組織崩壊を引き起こしても創業者・代表が変わらずに代表を努め続けているという、
供給側のことばっかりのクソ発信はクソ喰らえ
過去に3社に属したが、頑張ってうまくいき始めたり、まだ上手く行っていないけど頑張っていたりして、手段として対外的に広報・発信するコンテンツとして、「こんな優秀な人がいます!」とか「こんな優秀な人がジョインしました!」とか「こんな社内体制です!」とかそういうことを発信する場面をたくさん見てきた。スタートアップでも大企業でも。
もちろん、会社の組織システムや誰と働くかは、金銭的・非金銭的な報酬や福利厚生として機能する部分はあるが、めちゃくちゃ思うのは、誰にタイトルが付いたとか、誰が昇進したとか、誰が採用できたとか、
理由なし、のススメ
私は歩く🚶のが好きである。週に100km歩いているくらい。
散歩といえばランディフ、ランディフといえば散歩、が完全に定着しているかと思う。(?)
距離の長さが好きの大きさと比例するとは思わないし、とある知り合いは犬の散歩を朝と夕方にすることで歩いて合計6kmくらい、という感じの程よい歩きライフを実践していて楽しそうにしている。
週に100km歩いていてそれを他の方に伝えてみると、大体の場合、
* 「歩いている間は何か聞いているんですか?」
* 「なんで歩いているんですか?」
というご質問をいただくことが多い。
人間の性として、訊かれたら「それっぽく」答えたくなる、という点があると思う。
私の場合は上記のようなことをご質問いただいたら、
戻るじゃなくて選ぶ
「リモートから物理出社に戻る」
「観光需要が戻る」
っていう表現をコロナ明けてここ数ヶ月でかなりの頻度で見るようになった。
でもここでこそ、
* グレートリセット
* ニューノーマル(ノーマルがないという多元的定常状態)
という中で、強制的に多様生を自分にゼロベースでインプットしたうえで、目的に応じた「デザイン」観点を持って能動的に選択していきたい。
当然、人間は性質として変化が嫌いなので(私も惰性的なものも含めて毎日毎週繰り返していることはたくさんある)、「選ぶ」ではなく「戻る」ほうが、慣れ親しんだことを繰り返すことで時間が過ごせるのでラクではある。
プロジェクトワークと連続性
企業価値を持続的に高めたいなら、MOATという概念をビジネスで具体に落とす必要があると考えている。
ただのお祭り型のプロジェクトワークで、ミーハーに集まったり離れたりをやって楽しんでいるだけだと、持続的な企業価値の向上にはつながらない。事実、コンサルティングファームとして上場している会社でも、プロジェクトワークをバンバンこなしているが時価総額も企業価値も一向に上がらず、時価総額数十億円ほどをずっとさまよっている企業がある。一方、プロジェクトワークとしてコンサルティングプロジェクトをバンバンこなしているうえで、ナレッジも人もお金も増え続けて企業価値が上昇し続けている企業もある。
私個人としてはAppleという会社やその製品は別に好きではないし、感触的には製品とかも常に過大評価されていて空売りを仕掛けてもいい企業だと思っている。ただ、これは私の個人としての主観的な見方であって、実際にAppleに空売りを仕掛けると含み損がかなり大きくなる確率が高いだろう。Appleを空売りすべきではないのは、AppleはMOAT戦略を取っているからである。そのなかのプロジェクトとしてM&
パートナーシップの理想
最近は特に思うけど、やっぱり没個性的なコンサルティングやアドバイザリーとしての働き方や姿勢が染み付いている人と話してると自分が疲弊する。
本音を出し合って、個性を発揮し合う関係が私の理想だけど、「顧客にとって正しいことをやる」という名目で、価値尺度を相手に委ねすぎて時間と経験を積みすぎていると、本音がまっったく見えない。
私はコンサルティングファームも受けたことはあるしちゃんと落ちたけど、落としてくれて本当に正解だったとヒシヒシと感じる。
『上達論』にあるように、一定の型があることの価値はあると体感的に知ってるし、あんまり意味のない車輪の再発明は好きじゃないけど、旧来型のコンサルティングファームという環境の価値尺度と、私の本音ベースの価値尺度とはやっぱり違うと感じることが多い。
私としては、
* 本音を出しての共通点があれば「せやんなそれそれ!!」
* 本音を出しての違いがあれば「
価値を貫徹する覚悟と意志
2022年11月末に襲撃事件に遭われ、全治2ヶ月半ほどのところをわずか1週間ほどで退院された宮台真司さんの動画を2つ拝見した。
1つは、退院直後の2022/12/7に撮った23分ほどのリリース動画。
もう1つは、ちょうど2022/12/13のYoutubeのLive動画。
2つ目の動画の中での宮台さんの発言が力強く、特に下記2つのテーマについては心に響いたので紹介させてほしい。
※宮台さんの口語表現を一字一句正確に記載するわけではなく、一部文章表現に直している。
価値を貫徹する構えよりも、自分の居心地の良い場所に学習的に適応する構え。言論の界隈で、本物はどれだけいるのか。
襲われたから価値を貫徹する構えを変えたら、ヘタレがポジション取りしているだけだろうということで認識されてしまう。