ミッション・ビジョン・バリューと人間性
昔から、ミッション・ビジョン・バリューみたいなものはエンティティとして用いられていた概念なのか。それとも、近年になって用いられることがオーソドックスになってきた概念なのか。
もし近年になって用いられれているものなからば、昔は違った。
昔は、経済成長と個人の環境改善とが比例関係にあってある程度わかりやすかったとする。
そのときが、実は一番経済合理性が用いられたときなのではないか。
つまり、経済合理的なをすることの反映としての個人の環境改善までの道筋が見えやすいとき、経済合理的な行動に対するインセンティブが、経済合理的であることそのものになる。
一方、ミッション・ビジョン・バリューのような定性的な概念を用いるということは、
全面的に、一部を真似する
憧れている唯一の人とか、ベンチマークにしているたった1人の人とか、自分にはそういった人はいない。
これまで参考にしてきたたくさんの人たちのうち、ほんの一部を挙げるだけでも下記のような人がいる。(順不同。何において、という点についてはこれから述べることを読んでいただければわかるように、意志を持って記載しない。)
* 本多静六
* 濱口秀司
* 御田寺圭
* 島田紳助
* 太田光
* 関根勤
* ハンナ・アーレント
* J.P.サルトル
ストーリー無視力と衝動
MVVSとかパーパス経営とか起業家のビジョンとか、そういったものがもてはやされすぎていると感じる。
自分の周辺と心を潤すためだけにSMBやってる人だってたくさんいるしそれでいいし、もっと言えばなんとなくやっているだけの人だってたくさんいるしそれでいい。
MVVSとかで当てはめてインタビューしてるインタビュアーとか記者が書いた記事とかをよく見るけど、たぶんスタートアップ業界にいるからというのもあるけど、そういう質問自体が相手に「一般的に通用するっぽいイケてる価値観」のようなものを押し付ける質問である場合が多い。それ自体がコモディティ化している。
私個人としては、自分のことを論点3つで説明してそれで説明できているお思っているような人間とはあまり付き合いたくない。
子供の頃に、MVVSを意識しながらカブトムシ捕まえた人っていないでしょ?
もちろん、MVVSとかがコミュニケーションの一つの方法論としての言語化と、人間のストーリー認識・コンテキスト認識に響くということはわかってるよ。
ちなみに自分がフレームワーク開発・方法論開発をするのは、
動画と本の違い
映像はたしかに面白い。自分もYoutubeのドキュメンタリーとかは結構見るし、視聴時間もトップクラスだと思う。
一方、本も読む。
そこで、動画と本の差は何かと考えた。
なんなんだろうか。
自分としての答えは、想像する景色の違い、である。
具体的には、動画だと、例えば中田敦彦のYoutube大学はみんなが同じものを同じタイミングで見ることになり、人ごとに見ているものの差分が発生しづらい。
一方読書は、読むペースも違えば、文字への着眼ポイントも違えば、文字から想像する自分の頭の中のイメージも違う。この想像する景色が違うというのはかなり面白い。
自分の適性とペース
自分の体調が良いと、自分が70~80点以上をコンスタントに取り続けることができる性質を持っているような気がしてくる。
でも何度でも言おう。自分はそうじゃない。
思想すら持ち出して150点取ることもあれば、体調不安定からマイナスを取る可能性も現に何度も発生させている。自分はそういう人間だ。
M&Aアドバイザー、新規事業コンサルティング、ITコンサルティングというクライアントワーク型の仕事をそれぞれ異なる視点で取り組んだ経験が自分にはある。
そこで、やはりというか、自分が感じたことは、クライアントワークは、コンスタントに点が取れる人のほうがいいしそういう人を連れてくる必要が、自分には明らかにある。
また、
理由なし、のススメ
私は歩く🚶のが好きである。週に100km歩いているくらい。
散歩といえばランディフ、ランディフといえば散歩、が完全に定着しているかと思う。(?)
距離の長さが好きの大きさと比例するとは思わないし、とある知り合いは犬の散歩を朝と夕方にすることで歩いて合計6kmくらい、という感じの程よい歩きライフを実践していて楽しそうにしている。
週に100km歩いていてそれを他の方に伝えてみると、大体の場合、
* 「歩いている間は何か聞いているんですか?」
* 「なんで歩いているんですか?」
というご質問をいただくことが多い。
人間の性として、訊かれたら「それっぽく」答えたくなる、という点があると思う。
私の場合は上記のようなことをご質問いただいたら、
純粋な善意と多様性を持って支援できる人なんてほとんどいない
事業部としてどうか、ということを相談したことはあるけど、自分のありたい姿とか生き方について相談した人は会社組織には1人もいない。
自分がオーナーシップを持っているから、というのもあるし、自分が相手を信用できていない、というのもあるし、純粋に相手にその善意と多様性がないから相談しようがない、というのもある。少なくとも今の私はそう認識している。
特に、人に同期通信で頼ったりせずとも、本と自分だけの向き合いなど、オンデマンドな深いコミュニケーションをできる媒体は世の中にいくらでもある。その1つが本だし、論文だったりもするし、ブログでの自分のアウトプットだったりもするし、生成系AIだったりもするし、アートだったりもする。加えてもちろん人もいるが、
3種類の承認と、自分の場合
個人的に、コーチングというものを最近は受けている。
コーチングセッションの中で出てきた概念とかフレームワークについてはどうしても気になってしまうので、その場では自分の本音を出すことを意識しつつ、自分の勝手な宿題としてセッションの中で出てきたことを調べて自分として掘り下げて理解を深めていっている。
直近で出てきたこととしては、「承認」には3つの種類があるとのこと。
* 結果承認
* 行動承認
* 存在承認
※「プロセス承認」と「意識承認」を含めて5種類で承認を整理する場合もあるが、今回の記事としては上記3つについてのみで書いていく。
人によって、嬉しさを感じる種類(場面)やそのウェイトは異なるものである。
パートナーシップの理想
最近は特に思うけど、やっぱり没個性的なコンサルティングやアドバイザリーとしての働き方や姿勢が染み付いている人と話してると自分が疲弊する。
本音を出し合って、個性を発揮し合う関係が私の理想だけど、「顧客にとって正しいことをやる」という名目で、価値尺度を相手に委ねすぎて時間と経験を積みすぎていると、本音がまっったく見えない。
私はコンサルティングファームも受けたことはあるしちゃんと落ちたけど、落としてくれて本当に正解だったとヒシヒシと感じる。
『上達論』にあるように、一定の型があることの価値はあると体感的に知ってるし、あんまり意味のない車輪の再発明は好きじゃないけど、旧来型のコンサルティングファームという環境の価値尺度と、私の本音ベースの価値尺度とはやっぱり違うと感じることが多い。
私としては、
* 本音を出しての共通点があれば「せやんなそれそれ!!」
* 本音を出しての違いがあれば「
価値を貫徹する覚悟と意志
2022年11月末に襲撃事件に遭われ、全治2ヶ月半ほどのところをわずか1週間ほどで退院された宮台真司さんの動画を2つ拝見した。
1つは、退院直後の2022/12/7に撮った23分ほどのリリース動画。
もう1つは、ちょうど2022/12/13のYoutubeのLive動画。
2つ目の動画の中での宮台さんの発言が力強く、特に下記2つのテーマについては心に響いたので紹介させてほしい。
※宮台さんの口語表現を一字一句正確に記載するわけではなく、一部文章表現に直している。
価値を貫徹する構えよりも、自分の居心地の良い場所に学習的に適応する構え。言論の界隈で、本物はどれだけいるのか。
襲われたから価値を貫徹する構えを変えたら、ヘタレがポジション取りしているだけだろうということで認識されてしまう。