「課題の分離」と「人間のロマン」
以前、フリーランスとして活動している人に、「フリーランスで大きな課題に向かっている人はいるのか?」という質問をしたことがある。
その人の答えとしては、ある、とのことだった。
回答の内容としては、彼のある知人は、自分で会社やりつつも、他の会社のNo.2としてのポジションを、外から入って確立してコミットしていて。その会社で骨を埋めるつもりでやるが、最悪それが失敗しても仕方がないとしている、とのことだった。
それに対して私が考えたこととしては、最悪失敗してもいい、というところの感覚は、課題の分離の観点では妥当に見えなくもない、
自分の適性とペース
自分の体調が良いと、自分が70~80点以上をコンスタントに取り続けることができる性質を持っているような気がしてくる。
でも何度でも言おう。自分はそうじゃない。
思想すら持ち出して150点取ることもあれば、体調不安定からマイナスを取る可能性も現に何度も発生させている。自分はそういう人間だ。
M&Aアドバイザー、新規事業コンサルティング、ITコンサルティングというクライアントワーク型の仕事をそれぞれ異なる視点で取り組んだ経験が自分にはある。
そこで、やはりというか、自分が感じたことは、クライアントワークは、コンスタントに点が取れる人のほうがいいしそういう人を連れてくる必要が、自分には明らかにある。
また、
入門レベルからの脱却と捨象
いろんな分野の入門書を読むのは面白いし、最近読んだ本だと『現代思想入門』は非常に面白かった。
世の中の抽象概念の1つの結晶として展開されている「哲学」についても、「これまで哲学に興味が無かった人にもわかりやすく」云々という本がたくさん出ている。
哲学の入り口が広がり、裾野が広がり、概念展開が進むことについては私は肯定的である。
一方、一定以上の抽象度での思考ができない人にまで、これまで人類が蓄積してきたものの多くを理解させようとする試みが合理的なのか日については甚だ疑問だ。
一定以上の抽象化思考、概念思考ができない人は、諦めるというのも、必要なことだと個人的にはかんがえている。
なぜなら、
理由なし、のススメ
私は歩く🚶のが好きである。週に100km歩いているくらい。
散歩といえばランディフ、ランディフといえば散歩、が完全に定着しているかと思う。(?)
距離の長さが好きの大きさと比例するとは思わないし、とある知り合いは犬の散歩を朝と夕方にすることで歩いて合計6kmくらい、という感じの程よい歩きライフを実践していて楽しそうにしている。
週に100km歩いていてそれを他の方に伝えてみると、大体の場合、
* 「歩いている間は何か聞いているんですか?」
* 「なんで歩いているんですか?」
というご質問をいただくことが多い。
人間の性として、訊かれたら「それっぽく」答えたくなる、という点があると思う。
私の場合は上記のようなことをご質問いただいたら、
3種類の承認と、自分の場合
個人的に、コーチングというものを最近は受けている。
コーチングセッションの中で出てきた概念とかフレームワークについてはどうしても気になってしまうので、その場では自分の本音を出すことを意識しつつ、自分の勝手な宿題としてセッションの中で出てきたことを調べて自分として掘り下げて理解を深めていっている。
直近で出てきたこととしては、「承認」には3つの種類があるとのこと。
* 結果承認
* 行動承認
* 存在承認
※「プロセス承認」と「意識承認」を含めて5種類で承認を整理する場合もあるが、今回の記事としては上記3つについてのみで書いていく。
人によって、嬉しさを感じる種類(場面)やそのウェイトは異なるものである。
パートナーシップの理想
最近は特に思うけど、やっぱり没個性的なコンサルティングやアドバイザリーとしての働き方や姿勢が染み付いている人と話してると自分が疲弊する。
本音を出し合って、個性を発揮し合う関係が私の理想だけど、「顧客にとって正しいことをやる」という名目で、価値尺度を相手に委ねすぎて時間と経験を積みすぎていると、本音がまっったく見えない。
私はコンサルティングファームも受けたことはあるしちゃんと落ちたけど、落としてくれて本当に正解だったとヒシヒシと感じる。
『上達論』にあるように、一定の型があることの価値はあると体感的に知ってるし、あんまり意味のない車輪の再発明は好きじゃないけど、旧来型のコンサルティングファームという環境の価値尺度と、私の本音ベースの価値尺度とはやっぱり違うと感じることが多い。
私としては、
* 本音を出しての共通点があれば「せやんなそれそれ!!」
* 本音を出しての違いがあれば「