「課題の分離」と「人間のロマン」
以前、フリーランスとして活動している人に、「フリーランスで大きな課題に向かっている人はいるのか?」という質問をしたことがある。
その人の答えとしては、ある、とのことだった。
回答の内容としては、彼のある知人は、自分で会社やりつつも、他の会社のNo.2としてのポジションを、外から入って確立してコミットしていて。その会社で骨を埋めるつもりでやるが、最悪それが失敗しても仕方がないとしている、とのことだった。
それに対して私が考えたこととしては、最悪失敗してもいい、というところの感覚は、課題の分離の観点では妥当に見えなくもない、ということ。
ただ、本当に大きな課題を絶対に解こうと決めている人にとって、課題の分離って本当に有効に働くのかが、自分の感覚や体験としてわからない。
やらなければいけない状況が一番力だ出て、且つ伸びるという考え方もある。
また、やれることに集中して責任を全うするのが生きやすい、という考え方もある。
でもどうしても、自分としては、大きな課題を本気でとこうとしている人が、課題の分離をすべきなのかは疑問に思ってしまう。むしろ、課題の分離を自分としてどうしてもできないからこそ、大きな課題を追えると思うし、そこを割り切れないところに、自分のロマンがある気がする。逆に課題の分離をして、合理的に生きて行きやすさを手に入れたいのであれば課題の分離をすればいいと素直に思う。
自分も人生で生きづらいとなんとなく感じる期間が長かったので、課題の分離という言葉で言語化することで生きやすくなったを経験はある。
ただ、多少生きづらくなってもいいから、大きな課題を解きたいということのほうが、自分の感の観察としては正確なように感じるなら。
ただ、このモヤモヤ自体は、課題の分離と大きな課題を解くことを、方法論としてトレードオフ関係に捉えていることが背景にはありそう。
だから、トレードオフ関係にないところまで理解を進める、解像度を上げることが、自分の一歩の推進力になるのだろう。
トレードオフ関係を解くと、
- 課題の分離を長期間で捉える
- 自分はホスト側に回る
ということが解決策になる。
課題の分離を長期間で捉える、ということは、立ち上げからある程度の順調な運用までは自分が大きな責任を負い、あえて役割を曖昧に大きく捉えるフェーズを設けるということ。
ただ永遠にそれを継続するのではなく、ある程度順調な運用まで、というところでの役割としてで設定する。
自分がホスト側に回る、ということは、プロジェクトワークとして新商品や新規事業を立ち上げるときに、そのITインフラ・集客インフラ・プロジェクト組成インフラ・メンバー集めインフラ・設備インフラとして機能し、動かしたいものの邪魔をしないアーキテクチャを設計して更新するというこである。
それらプロジェクトに自分が参加するのももちろんOKである。
そのため、ある程度のフェーズまでは自分が先頭に立って課題の分離はほどほどにして良くて、その後はインフラ(ホスト)として役割とプロジェクトメンバーとして役割を分け捉えて良い。
そう捉えること自体が、上位の意味での、課題の分離になる。