自分の身は自分だけで守る?
自分の身は自分で守る、というのは、自分の身は自分だけで守る、ということではなく、自分の身は自分でも守る、ということなのではないか。
パートナーの協力してもらうことも、親や兄弟に協力してもらうことも、医者や看護師や薬剤師に協力してもらうこともある。
ともかく、自分だけで守れると思っているうちはまだ自分に余裕がある。
私は何度も入院して、また直近(2023年8月)で入院して改めて思うのは、どうしようもないときもあるということで、そのときはいろんな人に協力してもらわざるを得ない。
そんなときに、自分の身を自分だけでも守れると思っているなんて勘違いだと気がつく。正直、普段感じているのとは比べられないほどの「体感的な経験」としてその勘違いに気がつく。
「人間は1人では生きていけない」と言う人がたまにいる。正直この表現はあんまりセンスがないと感じている。
というのも、
- 自然と共生しているから1人でなにもないところに放り込まれても2~3週間ですぐに死ぬ
- 人はいつのまにか人に頼っている。例えば食べ物を作る人や加工する人や運ぶ人。だからいつのまにか依存している
- 人間は生まれた瞬間は誰かに保護されないとすぐに死んでしまうから、そこから成長して生きながらえているのも1人の力ではない
- 人間は集団的な動物である
など、いろんな意味が含まれていたり、このうちどれか1つの意味合いで表現されていることがあって、発信者の意図が明確でなかったりすると、空を切っている言葉になるだけで薄っぺらく感じる。そして大体の場合、私は薄っぺらく感じている。
それぞれに反論してみると、
- 自然と共生しているから1人でなにもないところに放り込まれても2~3週間ですぐに死ぬ
→ 自給自足で食べ物にありつければ長く生きられるのでは? - 人はいつのまにか人に頼っている。例えば食べ物を作る人や加工する人や運ぶ人。だからいつのまにか依存している
→ 経済活動としての分業やバリューチェーンのなかに我々の生活が放り込まれているし、それはそれで部分的には正しいシステム認識だが、そのシステムから逸脱するような自給自足的な生活をする余白がこの世の中にないわけではない。すなわち、経済的な依存としての他人への依存は、特定の領域においてしか当てはまらないから世の中で隅々まで行き渡る普遍的な逃れられない仕組みではない。 - 人間は生まれた瞬間は誰かに保護されないとすぐに死んでしまうから、そこから成長して生きながらえているのも1人の力ではない
→ 生まれた瞬間は保護してもらえれば、そのあとはどうにでもなるということでは?つまり、1人では生きていけないのは時間限定的な話なのでは? - 人間は集団的な動物である
→ 人間が他人と関わらないと鬱になったりとか寿命が縮んだりとかという傾向が強くなることが研究結果として示されることはあるかもしれないが、ウェルビーイング的な状態を束の間でも保てるのであれば1人で生きていけるとも言えるのでは?
という感じだろうか。
少し脱線したが、要は、「自分の身を守るのは自分だけではない、ただ自分でも守る」ということを80億人が相互に思っている社会と、「自分の身は自分だけで守る」と思っている社会、どちらのほうが人間性が豊かに発揮されて生きやすくなるのか、ということを考えると、私としては自ずと前者のほうが良いと思っている。