人材エージェント個人の発信
私が以前いたM&A業界との類似点やアナロジーも効きやすい、人材業界について気になってめちゃくちゃ調べている。
私が一番発信して活用しているSNSであるLinkedInに絡めて考えると、私としての現時点での結論は下記となった。
結論:
人材業界も職種や業種やビジネスモデルはいくつかあるが、人材紹介エージェントをやっている個人(企業に属するのかフリーランスなのかとかは問わず)については、
* その人(エージェント)はどんなインプットをしているのかがわかる
* どんな思考プロセスを辿るのか
* どんな表現をしてアウトプットしているのか
が見えない・見えにくい人は、概ね信用(信頼)
著作権と人類の英知
人間が使用している言語も数字も、全て誰かが発明して壊して積み重ねていま形成されているものだ。
ABC問題を解くために独自の関数を定義した望月新一氏も、問題を解くために新しい関数を定義することでゼロイチをしているように捉えられることがあるが、それまでのすべての数学的歴史のうえに「これまでに無い関数」を定義しているというコンテキストで捉えると、これまでにないという文脈はこれまでにある数学的歴史があってこそ存在するということが自明となる。
「異世界からきた」論文を巡って: 望月新一による「ABC予想」の証明と、数学界の戦い2012年、数学界に激震が走った。30年近くだれも解けなかった「ABC予想」を京都大学教授の望月新一が証明したというのだ。ただ、その証拠である論文は「
ストーリー無視力と衝動
MVVSとかパーパス経営とか起業家のビジョンとか、そういったものがもてはやされすぎていると感じる。
自分の周辺と心を潤すためだけにSMBやってる人だってたくさんいるしそれでいいし、もっと言えばなんとなくやっているだけの人だってたくさんいるしそれでいい。
MVVSとかで当てはめてインタビューしてるインタビュアーとか記者が書いた記事とかをよく見るけど、たぶんスタートアップ業界にいるからというのもあるけど、そういう質問自体が相手に「一般的に通用するっぽいイケてる価値観」のようなものを押し付ける質問である場合が多い。それ自体がコモディティ化している。
私個人としては、自分のことを論点3つで説明してそれで説明できているお思っているような人間とはあまり付き合いたくない。
子供の頃に、MVVSを意識しながらカブトムシ捕まえた人っていないでしょ?
もちろん、MVVSとかがコミュニケーションの一つの方法論としての言語化と、人間のストーリー認識・コンテキスト認識に響くということはわかってるよ。
ちなみに自分がフレームワーク開発・方法論開発をするのは、
動画と本の違い
映像はたしかに面白い。自分もYoutubeのドキュメンタリーとかは結構見るし、視聴時間もトップクラスだと思う。
一方、本も読む。
そこで、動画と本の差は何かと考えた。
なんなんだろうか。
自分としての答えは、想像する景色の違い、である。
具体的には、動画だと、例えば中田敦彦のYoutube大学はみんなが同じものを同じタイミングで見ることになり、人ごとに見ているものの差分が発生しづらい。
一方読書は、読むペースも違えば、文字への着眼ポイントも違えば、文字から想像する自分の頭の中のイメージも違う。この想像する景色が違うというのはかなり面白い。
「課題の分離」と「人間のロマン」
以前、フリーランスとして活動している人に、「フリーランスで大きな課題に向かっている人はいるのか?」という質問をしたことがある。
その人の答えとしては、ある、とのことだった。
回答の内容としては、彼のある知人は、自分で会社やりつつも、他の会社のNo.2としてのポジションを、外から入って確立してコミットしていて。その会社で骨を埋めるつもりでやるが、最悪それが失敗しても仕方がないとしている、とのことだった。
それに対して私が考えたこととしては、最悪失敗してもいい、というところの感覚は、課題の分離の観点では妥当に見えなくもない、
金銭的なダウンサイドリスクを減らす制度設計
前職ではM&Aクラウドという会社にいたが、スタートアップ、特にIPOを目指す会社と日々お付き合いさせていただいていた。
ここ数年でのトピックとして、
* 信託型ストックオプション (以下、信託SO)
の導入を検討する企業さんも増えている実感があった。
顧客企業においても、日本で「信託SOといえば」という一次想起のコンサル会社に相談して信託SOの導入を検討しているところもあった。
現に、Valuationzのサイトによると、信託SOを導入した状態で上場する企業も年々増えていることがわかる。
バリュエーション実務の総合解説サイトバリュエーション実務の総合解説サイト。株価算定・ストックオプション価値評価・
日本のタクシー王子
日本やばすぎないか?
私の出身大学の先輩で、私の大学の卒業式(2018年3月)にスピーチしに来た日本交通の川鍋一朗氏が、「世田谷区の細い道を全部自動運転するには30年はかかる」という発言をしている。
タクシー業界のボス、日本交通の川鍋会長「自動運転は30年かかる」タクシー大手・日本交通の川鍋一朗会長が「世田谷区の細い道を全部自動運転するには30年はかかる」との考えを示して自動運転ラボ下山 哲平
利権とか法律とか技術とか事業とかプレイヤーとかいろんな要素が絡んでいるとはいえ、運転技術はすでに人間よりも自動運転によるほうが優れていて、あとは量産体制と法律の問題がほとんであるなか、日本の隅々まで自動運転が行き渡るのが30年かかるのはやばすぎる。
当然、
自分の適性とペース
自分の体調が良いと、自分が70~80点以上をコンスタントに取り続けることができる性質を持っているような気がしてくる。
でも何度でも言おう。自分はそうじゃない。
思想すら持ち出して150点取ることもあれば、体調不安定からマイナスを取る可能性も現に何度も発生させている。自分はそういう人間だ。
M&Aアドバイザー、新規事業コンサルティング、ITコンサルティングというクライアントワーク型の仕事をそれぞれ異なる視点で取り組んだ経験が自分にはある。
そこで、やはりというか、自分が感じたことは、クライアントワークは、コンスタントに点が取れる人のほうがいいしそういう人を連れてくる必要が、自分には明らかにある。
また、
入門レベルからの脱却と捨象
いろんな分野の入門書を読むのは面白いし、最近読んだ本だと『現代思想入門』は非常に面白かった。
世の中の抽象概念の1つの結晶として展開されている「哲学」についても、「これまで哲学に興味が無かった人にもわかりやすく」云々という本がたくさん出ている。
哲学の入り口が広がり、裾野が広がり、概念展開が進むことについては私は肯定的である。
一方、一定以上の抽象度での思考ができない人にまで、これまで人類が蓄積してきたものの多くを理解させようとする試みが合理的なのか日については甚だ疑問だ。
一定以上の抽象化思考、概念思考ができない人は、諦めるというのも、必要なことだと個人的にはかんがえている。
なぜなら、
逆境克服物語は好きじゃない
「学歴はないけど社長になった」とか「親がいなかったけどここまで来た」とか「貧乏だったけどここまでのし上がった」とか、そういった一見して逆境だったような環境から脱したり、実際の逆境的な環境から脱して他の人から評価されやすい尺度での上の方に位置したりとかっている物語を言う人もその物語自体も、私は個人的には好きではない。
SNSで投稿すればインプレッションが得られ、ブログにしたらPVが得られ、何かしら引用され、時には人を惹き付け、時にはお金を惹き付け、そういった多ければ多いほど評価される指標群がポジティブな方向に振れることが多いように思う。
人間の脳みそは物語製造装置で、物語が大好きで意味づけが大好きだから、共感とやらに到達してポジティブな反応の具体として、いいねしたり引用して紹介したり投資したり投げ銭したりとか、そういった行動を引き出すことになることも多い。