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価値を貫徹する覚悟と意志

価値を貫徹する覚悟と意志

2022年11月末に襲撃事件に遭われ、全治2ヶ月半ほどのところをわずか1週間ほどで退院された宮台真司さんの動画を2つ拝見した。

1つは、退院直後の2022/12/7に撮った23分ほどのリリース動画。

もう1つは、ちょうど2022/12/13のYoutubeのLive動画。

2つ目の動画の中での宮台さんの発言が力強く、特に下記2つのテーマについては心に響いたので紹介させてほしい。

※宮台さんの口語表現を一字一句正確に記載するわけではなく、一部文章表現に直している。

価値を貫徹する構えよりも、自分の居心地の良い場所に学習的に適応する構え。言論の界隈で、本物はどれだけいるのか。
襲われたから価値を貫徹する構えを変えたら、ヘタレがポジション取りしているだけだろうということで認識されてしまう。それが僕は嫌だ。
産経新聞に入ったから産経新聞っぽい発言になったとか、朝日新聞に入ったから朝日新聞っぽい発言になったとか、そういったやつはゴミのようにいる。言論の界隈は、ほとんどの場合、このようなヘタレがポジション取りしているだけだった。ただ、そうじゃない言論人、そうじゃない言論人が作る言論の界隈がありうるんだぜ、ということを示したいし、そのことに希望をもってほしい。そういう強い意志がある。
良い人というのは、大抵の場合、どうでもいい人である。なぜなら、良い人というのは、何にも試されていないから。試されたときにはじめて、その良い人が、どうでもいい人を超える存在なのかが分かる。

昨今では「プロティアンキャリア」など、変幻自在に活動場所や役割を変えていくキャリアの方法論が話題になっていて、それはそれで適応能力と俊敏性と思考の柔軟性と幅広い知見を表象している良い部分もあるかと思う。ただ、「価値を貫徹する構え」を一貫して持ち続けているなかでの方法論としてプロティアン的な活動方法をしているのか、ただただ彷徨っているだけなのか、ということについては私としては甚だ疑問を持っている。

それを客観的に見る上で非常に参考になる観点だなと感じた。

私は個人的な研究分野として社会システム論を日々勉強していて、宮台さんの著書も批判的な目線で精読して自分なりのポジションを持つことを心がけているが、

  • 良い人、すなわち、どうでもいい人になっていないか
  • ビビっていないか

については改めて意識していきたいなと考えた。