生成系AIと内部統制
最近、大量のデータを扱っていて思うが、生成系AIがあると、内部統制という概念が変わる。
どういうことかというと、内部統制とは、簡単に言えば「金太郎飴を作ること」である。
金太郎飴は、どこを切っても同じ模様が出てくる飴だが、それをビジネスプロセスやITシステムに置き換えている概念が内部統制である。
同じインプットをしたら同じアウトプットが返ってくるように、プロセスをマネージするのが内部統制で、かなり旧来の製造業的な発想である。
例えば、社内の顧客データを特定の条件でフィルタリングしたら、同じ件数が出て同じレコードが表示されるのが、ITシステム的な内部統制の1つ。同じインプット(
オーバーツーリズムとサービスデザイン
テレ東BIZにて、先日私もお邪魔した鎌倉高校前駅などがオーバーツーリズムの事例として取り上げられていた。
私がお邪魔したときも観光客の方が多い印象で、学ランか学ランに近いような服装をして道路に踏み出して写真を取っておられる方もいた。
人の行き来や旅行には、その地域にとってのメリット・デメリットがありつつもその地域の人にとっては影響を受けやすく、対して、その地域を訪れる人にとっては一生に一度だったり一過性だったりでトランザクション型的な性質が強く、モラル云々の文化的背景を気にするインセンティブが少ない、というのが正しい状況観察だと考えている。
地域にとってのメリットとしては、経済的にその地にお金を落としてくれて事業者側からしたら売上が上がり、消費税や法人税を通して地域への再分配や福祉的な元手になるものが多くなること。また、人が集まるところ・訪れるところには、更に人が集まってくる・訪れられるという傾向があるため、「人気の地」
宗教勧誘を立て続けに受けて思ったこと
この3日間で、同じ宗教の勧誘を2回立て続けに受けた。おそらく強化月間なんだろう。もしくは重大で甚大な何かに我々人類が近づいているのか。
宗教勧誘は久しぶりに受けたのだが、それについていつも思うのは、信じてることや信じ方が違うだけなんだなと。
私の信じてること、大事にしていること、優先していること、すなわち価値観は主に下記の3つ。
* 誠実さ
* 好奇心
* オーナーシップ
この3つのうち、オーナーシップほどにビジネスで差が出るというか、人によって姿勢が異なるものはないなと感じている。
顧客の財布からいくら引っ張れるか、いかに自分がリスクテイクさせずに他人の金でふんどしを取れるかしか頭にないコンサルティングファームやコンサルタントが私は大嫌いで、積極的に距離を取る。
市場退出率レポート(2022年,TSR)
東京商工リサーチ(TSR)が出しているレポートはときどき読むが、業界別の退出率が推移でまとめられていた。
2022年法人の市場退出率 1.65%で2年ぶり上昇 過去10年間、 情報通信業が退出率トップで推移 | TSRデータインサイト | 東京商工リサーチ2022年(1-12月)に「倒産」や「休廃業・解散」で市場から退出した法人(以下、
米国のCEO交代トレンド
米国だとCEOがかなり交代しているらしく、自らの退任したケースも取締役から辞任させられたケースもあると思うが、2023年の9月までで1,400人以上が交代したとのこと。
CEO退任が過去最多ペース、5割増の1400人超が職を去る-米調査米国の多くの労働者にとっては「グレート・レジグネーション」、いわゆる大退職の時期は終わった。だが、最高経営責任者(CEO)の間では今まさにその動きが加速している。BloombergJo ConstantzCEO Exits Continue Record Clip
パートナーのタイプから、DAOまで
正社員として活動させてもらっていたころも思っていたし、期間を区切って現在のフリーランス的な動き方をしていても思っていて、今後どんな活動をするにしてもこう思うんだろうということがある。
それは、
「話を聞いてほしい人」
と
「一緒に活動したい人」
は、異なる場合があるということ。
私の友人で、おそらく日本のフリーランスのなかでは上位1%くらいの時給単価や収益を1人で作っている人が何人かいる。
そのうちの1人(Aさん)は、法人成りさせて、税金対策とかキャッシュフローコントロールとかをしていて、個人としてのビジョンと法人としてのビジョンとを少し表現を変えつつも、法人としてのビジョンの設計までは終えている状態を作っている。
言語化が難しいソフトな領域で、
感謝で始める循環
前職などでは、リスク指摘することだけが仕事とか、重箱の隅を突くことが仕事だと思っている人が全くと言っていいほどいなかったのだが、退職してから個人としていろいろな会社さんと活動をご一緒させていただいていると、そういった方に一定確率で会うことがある。
「事業に対するオーナーシップのかけらも無いな」とつい思っている自分もいるのが、その方の経歴とか経験とかを深堀って訊いていくと、一般的に言う「成功体験」を、事業成長や事業開発という点においてほとんどされておらず、自分の生きる場所としてどうにか「指摘役」を選んでいることがある。(「なんでそんなことするの?」ただただオープンクエスチョンで子供を詰める親にも通づるところがある。)
事業成長自体は経験していても、そこに自分が介在してこその部分を見出していないことも多いように感じる。
そこで考えたのが、
「市場価値」の幻想
転職市場とかで転職エージェントとか転職サイト、それ関連の広告とかアフィリエイトとかで「市場価値」という言葉がある。
普通に考えて、この「市場価値」というコトバに、釣り文句以外の用途があるんだろうか?客観性があるんだろか?
「市場価値」という釣り文句からコンバージョンまでの流れは下記のようになっている。
「市場価値を確かめてみませんか?」
→ 「転職の先にきらびやかな世界が待っている!」イメージ
→ 転職エージェントや転職サイトに個人情報を渡す
→ 入力した個人情報をもとに、面接に行かせられそうな求人を表示したり当て込める
→ 候補者に紹介し、応募させ、
支配って大変なんじゃね?
「俺がやればうまくいく」とか、「俺が経営すればうまくいく」とか、「俺が大統領になればうまくいく」とか、いろんな階層的上位なものにその時点で位置している人に対して、いろんな人が羨望と嫉妬の眼差しを向けて、時には足を引っ張ったりするけど、それらは全部、恐怖心から来ているのではないだろうか。
その恐怖心は、「コントロールできないこと」、言い換えると「思い通りにいかないこと」に対するものである。
マンガやらアニメやらで、悪役が「世界征服」というビジョンを持って活動していることがあるが、
ナレッジトランスファーと学習の種類
属人的に溜まっているナレッジなどのトランスファー(ナレッジトランスファー)を概念レベルでやろうとしている会社は結構あるが、
* 個人学習
* 組織学習
の2つがごっちゃになっていることって多いなと感じる。
上記2つはMECEではなく被りが多分にあるが、個人から組織へのナレッジトランスファーを意識的にしない限り、組織学習ではなく個人学習がなされるだけで、組織へも移転は達成されていない実情を多く見ている。
Aさんという特定のナレッジ保有者から、ナレッジを学習する個人であるBさんに移転されても、Bさんと一緒に組織を構成するCさんとDさんとEさんも一緒に学習して手を動かして実感を得ない限り、学習主体は組織ではなく個人になってしまう。
これをやっても、Aさんが抜けたあとにBさんが抜けたら、またナレッジトランスファーが課題になる。組織学習しないことによる課題が再生産される。
またそういった組織は、学習できなかったこと自体を学習できるメタ認知もできていないことが多いので、